ひとりの女性のココロの成長と生を描いた、
力強く希望にあふれた青春の1ページ。
21歳の竹中まゆが、ある日突然、直面した現実。『Mayu-ココロの星-』は、困難に立ち向かうひとりの女性の、ある一年のココロの成長を描きだす。どんなときでも、しっかり前を向いて、逃げることなく真正面から現実と向き合うまゆのまわりには、いつも大切な家族、友達、恋人がいる。青春まっただなか、立ち止まってなんかいられない。まゆの成長は彼女ひとりの成長ではなく、まわりをも巻き込んで希望の光の道しるべとなる。
『Mayu-ココロの星-』は、実話に基づいたストーリーである。自らの体験をつづった原作者、大原まゆさんは語る。「主人公の"死"を描かなくても、伝えられることはいっぱいあるということと、今、私が生きている意味のある映画にしてほしい……そんな想いを監督にぶつけました。『どうして生きるの?』じゃなく、『何がなんでも生きなきゃいけない』……だからこその苦しみ、葛藤。それがあるからこそ生まれる楽しみ、小さな幸せを見つける喜び、感謝の気持ち。乳がんという病気を主軸にしながら、"生"を描いてほしいとお願いしたのです」
■ ヒロインまゆを演じる、平山あや。
ヒロイン、竹中まゆを演じるのは、タレント、女優として幅広い活躍を見せる平山あや。北の都市、札幌を舞台に、生きる希望を決して捨てることなく気丈に病に立ち向かい、前向きに生きるヒロインを熱演。彼女のけなげさ、凛とした強さが、作品全体に明るい光をもたらしている。テレビのバラエティなどで見せる顔とはまた違った一面を出した演技で、ヒロインまゆを演じる本格派女優、平山あや。だれもが彼女を応援したくなり、きっと好きになる。
また、まゆを温かく見守る家族--自身も卵巣がんという病を抱えながら、娘まゆの理想の女性像である母親役には浅田美代子、娘を優しく見守る父親役を三浦友和が演じるほか、まゆの恋人役には池内博之、元カレ役には塩谷 瞬ほか、新旧実力派が脇を固める。
病と向き合ったとき、どう"生きる"べきなのか--。「がんになったからと言って、なにも変わらない。まゆはまゆだ」。ヒロインまゆの恋人、新堂 亮は彼女にそう告げる。まゆの凛とした生き方はスクリーンを超えて、この秋、観る者すべてに勇気と希望と強さを与えるだろう。夜空にひときわ明るく輝くポーラスター-北極星-のように--。
この映画には、ドキドキさせる仕掛けもなければ、スリリングなクライマックスも用意されていない。
ただ、いつもの日常である"尊い一瞬の時間"が、淡々と、映画の中を流れていく。
しかし、そこには、命と向き合い、戦い、打ちのめされて、そしてまた、絶望の淵から、必死に這い上がっていく、
命への熱い思いが、ひたひたと流れ続けている。
撮影は、カメラマンの柴主さんをはじめ、スタッフ全員が、
この思いに、真剣に向き合ってくれた熱い現場だった。
現場のすみっこには、いつも、この映画の原作者、まゆちゃんが、スタッフに溶け込んで、ちょこんと座っていた。
だからだろうか。撮影現場には、時として、不思議な現象が起こった。
誰かに、見守られているかのような、何とも言えない感じ……。
いつも、スケジュールぎりぎりで、もう駄目かと思う瞬間に、何かに救われる。
辛いシーンを撮りながらも、なぜか、温かな空気が現場を包む。
不意に私は、現場で涙を流したことがある。涙の理由もわからなかった……。
今、完成して思うのは、誰かがこの映画を、確かに見守ってくれていたに違いない、ということだ。
「今ココにいることの 尊さと 愛しさと
美しすぎて 掴めない 手のひらの一瞬を
あたりまえのこと すべてが 光ってるよ そう 奇跡なんだね」
挿入歌の中の、一節。
当たり前のように訪れる、今日という一日が、こんなにも尊くて、愛しいとは……。
今、ココにいる、この一瞬に、感謝したい。そんな思いで綴った歌詞だ。
私は「生命力」という言葉が好きだ。
ラストシーン。
映画の中で、主人公まゆが、静かに空を見つめる眼差しに、
私は、力強い生命力を、感じてならない。
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